95.土用の丑の日まで20日を残し...
七月に入り 夏も盛りとなっている。連日鰻の原産地詐称の記事がマスコミで取り上げられている。 20日もすれば一回目の「土用の丑の日」である。 今年の土用入りの日は申から丑の間であることから、丑の日が二回あることになり、二回目の丑の日を二の丑という。
土用(どよう)とは、五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終りの約18日間のことである。
平気法においては立夏・立秋・立冬・立春の前の18日間としていたが、定気法を用いている現在では、太陽黄経に基づいて期間が定められている。 すなわち 夏の土用 : 黄経117度の点を通過する瞬間から立秋(135度)までである。
暦の上では7月22日が「大暑」。 「立秋」は8月7日であるから 平気法においては「立秋」の18日前が土用の入りである。
そして「土用の丑の日」は7月24日と 8月5日となる。やがて猛暑となり、八月の立秋を過ぎると後は残暑となっていく。
一般には土用の丑の日といえば夏を指すが、土用は春、夏、秋、冬の年4回あり、土用の丑の日は年に数回ある事になる。長野県岡谷市を中心として寒の土用の丑の日にも鰻を食べようというキャンペーンが展開されつつあり、全国に広まりつつあるそうだ。
鰻の蒲焼(うな重)鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が一般的であり、有名でもある。 しかし ずっと昔の万葉集には大伴家持が、夏痩せの友人に鰻を食べるように勧めている和歌があるというから、鰻の効能の歴史はもっと長そうである。
さて 江戸時代、商売がうまく行かない鰻屋が平賀源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したのだそうだ。これが「丑の日」イコール鰻の歴史のスタートらしい。
また、平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説もある。これも どこかの看板で見かけた記憶がある。「う」も「し」もえらがあり頭には目を持つ鰻であった。
この他に、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説もある。ことほど左様にものごとには諸説ある。 【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋。】
我が家は 母も妻も息子も娘も 私以外の全員が丑歳生まれである。そのせいでもあるまいに 30年も前のこと 祖父に連れられ美味しい「鰻や」へよくお供していた息子は子供の頃から鰻重が大好きであった。 関連はないと思うが「丑歳の鰻好き」何か面白い話でもあればお知らせいただきたいところである。
平成15年8月九州柳川で食した鰻重。 見かけと異なり 最も印象に残った美味であった。
今日もお立ち寄りいただき有難うございました。
他にもブログ投稿しています。
◆丼季報亭の「8万時間の休息」(2008年3月投稿開始)は
URL:http://blog.goo.ne.jp/nickk
◆4Travel. 「Donkyさんの旅のブログ」」(2013年6月投稿開始)は
URL:http://4travel.jp/traveler/donky2013/
お時間があるときにでも、またお気軽にお立ち寄りいただければとても嬉しいです。
土用(どよう)とは、五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終りの約18日間のことである。
平気法においては立夏・立秋・立冬・立春の前の18日間としていたが、定気法を用いている現在では、太陽黄経に基づいて期間が定められている。 すなわち 夏の土用 : 黄経117度の点を通過する瞬間から立秋(135度)までである。
暦の上では7月22日が「大暑」。 「立秋」は8月7日であるから 平気法においては「立秋」の18日前が土用の入りである。
そして「土用の丑の日」は7月24日と 8月5日となる。やがて猛暑となり、八月の立秋を過ぎると後は残暑となっていく。
一般には土用の丑の日といえば夏を指すが、土用は春、夏、秋、冬の年4回あり、土用の丑の日は年に数回ある事になる。長野県岡谷市を中心として寒の土用の丑の日にも鰻を食べようというキャンペーンが展開されつつあり、全国に広まりつつあるそうだ。
鰻の蒲焼(うな重)鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が一般的であり、有名でもある。 しかし ずっと昔の万葉集には大伴家持が、夏痩せの友人に鰻を食べるように勧めている和歌があるというから、鰻の効能の歴史はもっと長そうである。
さて 江戸時代、商売がうまく行かない鰻屋が平賀源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したのだそうだ。これが「丑の日」イコール鰻の歴史のスタートらしい。
また、平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説もある。これも どこかの看板で見かけた記憶がある。「う」も「し」もえらがあり頭には目を持つ鰻であった。
この他に、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説もある。ことほど左様にものごとには諸説ある。 【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋。】
我が家は 母も妻も息子も娘も 私以外の全員が丑歳生まれである。そのせいでもあるまいに 30年も前のこと 祖父に連れられ美味しい「鰻や」へよくお供していた息子は子供の頃から鰻重が大好きであった。 関連はないと思うが「丑歳の鰻好き」何か面白い話でもあればお知らせいただきたいところである。
平成15年8月九州柳川で食した鰻重。 見かけと異なり 最も印象に残った美味であった。
今日もお立ち寄りいただき有難うございました。
他にもブログ投稿しています。
◆丼季報亭の「8万時間の休息」(2008年3月投稿開始)は
URL:http://blog.goo.ne.jp/nickk
◆4Travel. 「Donkyさんの旅のブログ」」(2013年6月投稿開始)は
URL:http://4travel.jp/traveler/donky2013/
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